菊池氏一字一石塔 柳川市文化財
「天正の頃(1573〜91年)、島地区は、矢部川河口の島で、有明海の波うちぎわに位置していました。
葦の生える海岸一帯を拓き、島堀切村数十町歩(ヘクタール)を開拓したのは、米良信之(島信之)という人です。
この一字一石塔は、島信之より三代目の島信家(十右衛門)が若宮神社に四十八夜の読経をつとめて建立したものです。平石の自然石の表面に梵字を刻み、平石の下に供養のため、法華経の字を一字ずつ書いた小石63,839石を埋めています。島信家は、篤い仏教信者で、祐慶と号しました。
島氏は、もともと肥後国隈府(現在の熊本県菊池市)の城主菊池氏の一族ですが、戦国動乱期に、日向国米良郷(宮崎県児湯郡米良村)で米良氏を名乗りました。そして、島にきて島氏と改め、明治になって菊池の旧姓に戻したのです。米良氏・菊池氏・島氏は、みんな同族です。」
柳川市教育委員会
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