8.木崎原古戦場跡

2006.01.21


1.小松神社 2.花見の馬頭観音 3.上上江の田の神 4.中上江の田の神 5.小木原古墳 6.首塚 7.太刀洗川 8.木崎原古戦場跡 9.回り田の神3体 10.竪穴住居(復元) 11.山内の田の神 12.松原の田の神 13.麓の田の神 14.中島の田の神 15.白鳥の田の神 16.白鳥の田の神(自然石) 17.出水の田の神 18.出水観音壱之橋 19.出水観音弐之橋 20.虚空蔵菩薩前橋 21.出水観音水路橋 22.白鳥温泉上湯 23.秋葉神社の仁王像 24.町の田の神 25.五日市の田の神



えびの市大字池島




木崎原古戦場跡
「元亀3年(1572)5月3日夜、小林の三山城を出発した伊東軍約3,000は4日未明、まず別働隊を派遣して加久藤城を攻め落とそうとしたが失敗し、この木崎原の地に還り、鳥越城に布陣した後続軍と合流しました。
 しかし、眼前の島津軍の劣勢を侮り決戦の時を逸し、この間に、敵襲の狼煙により吉田・馬関田・吉松郷及び北薩の各地より急遽馳せ集まった島津軍に包囲され、一大決戦を交えた古戦場跡です。
 島津・伊東両氏は、この一戦を境として、島津氏は三州制圧の夢を果たし、一方伊東氏は、居城都於郡を追われ衰退の一途をたどるという、両氏の明暗を分けた一戦であったため、古来、世に「島津、伊東の関ヶ原合戦」といわれています。
 この合戦にかかわる史跡に、飯野城跡・加久藤城跡・鳥越城跡・首塚・太刀洗川・三角田・六地蔵塔・元巣塚・二八坂(上別府坂)などがあります。
(小林には、二山城跡・伊東塚・粥持田などがあります)」

えびの市教育委員会
5年半ぶりの訪問

樹勢旺盛
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